久留里城
久留里城(くるりじょう)は、現在の千葉県君津市久留里にあるお城です。
別名では、雨城・霧降城・浦田城とも呼ばれます。
久留里城は室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれた山城(古久留里城)で、以降は信長の子孫である真里谷氏が支配した。
戦国時代には真里谷氏は衰え、代わって里見氏の拠る所となり、里見氏によって再構築され(新久留里城)、佐倉城と共に対北条氏の最前線を担いました。
その後、江戸時代には久留里藩の藩庁として再整備され、酒井氏の加増地となった17世紀末から18世紀半ばを除いて、近世城郭として明治維新まで維持されました。
久留里城は現在本丸のある近世城郭部に加え、安住原地区、怒田遺跡および山麓小櫃川河畔の近世居館部の4つの郭群からなります。
この内、江戸時代には近世城郭部と近世居館部のみが城域として維持されたが、安住原地区については真里谷氏時代の遺構であり、里見氏時代には既に放棄されていたと考えられています。
ただし、安住原地区は里見氏時代も引き続き使用されたと考える向きも多いです。
上総掘り
『上総掘り』は江戸時代後期に上総に伝わった鉄棒による井戸掘り「突き掘り」を、効率的により深くまで掘削できるように改良した井戸掘り技術です。
上総で生まれたので『上総掘り』と呼ばれ明治20年代に完成し、全国に広まったと言われております。
それ迄の鉄棒式突き掘りでは15~20間(1間≒1.8㍍)、鉄棒を樫棒に替えた方式では50~60間程度の深さまでしか掘り進めなかったが『上総掘り』の出現により一挙に200~300間まで掘れる様になりました。
少ない人力で深くまで掘り込める『上総掘り』の完成で、各地に良質の水を自噴する「掘り抜き井戸」が掘られるようになりました。
久留里城へのアクセス
【最寄駅】
「久留里駅」(JR久留里線)
【最寄バス停留所】
「久留里城三の丸跡」
・高速バス【アクシー号】木更津金田BT・東京駅八重洲口前・浜松町BT行
※木更津金田BTで羽田空港行/成田空港行高速バスに乗り換えができます。
・高速バス【カピーナ号】千葉駅行、安房鴨川駅(亀田病院)行